2012年01月09日
枯山水をイメージした庭が完成
我が家の裏庭を改造
昨年春、隣との境界を細葉(槇)囲いからフェンスに変えました。
永年思い描いていた裏庭をこの機会に改造しようと、8月から自らの手作りで作業開始
裏庭は今まで竹藪と柿の木があり、雑草に覆われた全く違う印象の場所でしたが
フェンス工事により、作業場としてスペースを作りました。フェンス完了後、一部を駐車場
として、半分を庭造りしました。
庭は築山と流れる川を中心にした姿をイメージし、小高い築山には紅葉が楽しめる中木を
なだらかな斜面には低木中心とした若木を植え、のり面には苔を這わせ、手前には池を
イメージしてひょうたん型に配置、水の代わりに白川砂利をひきつめ、波を描くようにしました。
ポイントに「シシオドシ」と「蹲踞」を配置、そして「水琴屈」の仕掛けを地中に埋め、
昨年末ほぼ完成し、お正月から窓越しに眺め楽しんでいます。
8月ごろの様子

9月ごろの様子

10月ごろの様子

11月ごろの様子

12月ごろに様子

春になったら植えた木々の様子、苔の付き具合を確認し、手直しして、更に完成度を上げ
4~5年掛けて、落ち着いた庭に育てていきたいと思っています。
温かくなったら、外に出て風景を楽しみ、川のせせらぎ、滝壺に落ちる落水の音、ししおどし
の竹の音を聞きながら、桟敷席で鑑賞を楽しみに今わくわくしてます。
今年は日曜大工で桟敷席を作らなければ・・・今年も時の流れを忘れさせてくれそう
昨年春、隣との境界を細葉(槇)囲いからフェンスに変えました。
永年思い描いていた裏庭をこの機会に改造しようと、8月から自らの手作りで作業開始
裏庭は今まで竹藪と柿の木があり、雑草に覆われた全く違う印象の場所でしたが
フェンス工事により、作業場としてスペースを作りました。フェンス完了後、一部を駐車場
として、半分を庭造りしました。
庭は築山と流れる川を中心にした姿をイメージし、小高い築山には紅葉が楽しめる中木を
なだらかな斜面には低木中心とした若木を植え、のり面には苔を這わせ、手前には池を
イメージしてひょうたん型に配置、水の代わりに白川砂利をひきつめ、波を描くようにしました。
ポイントに「シシオドシ」と「蹲踞」を配置、そして「水琴屈」の仕掛けを地中に埋め、
昨年末ほぼ完成し、お正月から窓越しに眺め楽しんでいます。
8月ごろの様子

9月ごろの様子

10月ごろの様子

11月ごろの様子

12月ごろに様子

春になったら植えた木々の様子、苔の付き具合を確認し、手直しして、更に完成度を上げ
4~5年掛けて、落ち着いた庭に育てていきたいと思っています。
温かくなったら、外に出て風景を楽しみ、川のせせらぎ、滝壺に落ちる落水の音、ししおどし
の竹の音を聞きながら、桟敷席で鑑賞を楽しみに今わくわくしてます。
今年は日曜大工で桟敷席を作らなければ・・・今年も時の流れを忘れさせてくれそう
2012年01月09日
初めてのサイパンへ
年末子供夫婦に誘われて南の島サイパンへ行きました。
自然に恵まれた小さな島(中心部ガラパンから20~30分で島内どこでも行ける)
我々はマリンレジャーを堪能するため5泊の日程でゆったりした時間を過ごしました。
若者にとっては最高に楽しい楽園ですよ。
われわれは真っ白なビーチと青い海辺で休みながらサンゴ礁に生きるきれいな魚たちを(熱帯魚)
シュノーケルを使って海中を探索
マニャガバ島はマリンスポーツのスポット
写真の風景は機内雑誌のワンカットでよく見かける風景、これだったのかと感激

海から帰ってホテルのロビーでくつろぐ
我々は空港近くのススベ地区のホテル滞在

ホテル内のプールを満喫ウォーター滑り台に挑戦

今回の旅行で月食が見られ、夜中ホテルのベランダ越しに撮影
日本と離れているため、完全月食とならなかったが、月の欠ける天体ショーを
見ることができました。

多くの思い出を写真に詰め帰りましたが、掲載に至らない写真ばかりでした。
自然に恵まれた小さな島(中心部ガラパンから20~30分で島内どこでも行ける)
我々はマリンレジャーを堪能するため5泊の日程でゆったりした時間を過ごしました。
若者にとっては最高に楽しい楽園ですよ。
われわれは真っ白なビーチと青い海辺で休みながらサンゴ礁に生きるきれいな魚たちを(熱帯魚)
シュノーケルを使って海中を探索
マニャガバ島はマリンスポーツのスポット
写真の風景は機内雑誌のワンカットでよく見かける風景、これだったのかと感激

海から帰ってホテルのロビーでくつろぐ
我々は空港近くのススベ地区のホテル滞在

ホテル内のプールを満喫ウォーター滑り台に挑戦

今回の旅行で月食が見られ、夜中ホテルのベランダ越しに撮影
日本と離れているため、完全月食とならなかったが、月の欠ける天体ショーを
見ることができました。

多くの思い出を写真に詰め帰りましたが、掲載に至らない写真ばかりでした。
2012年01月09日
スカイツリー見学
暮れに東京へ行く機会があり、少し時間が取れたのでぶらっと下町を散歩しました。
話題のスカイツリーのある押上まで(半蔵門線)行き、撮影スポットで記念写真を撮りました。
今年の5月グランドオープンに合わせ工事が急ピッチで進んでいました。
あまり近いと全体が見えず、歩道上を歩いては止まり天を仰ぐを繰り返し、一周回りました。

次回はオープン後展望台に登って、関東平野を見てみたいと思います。
話題のスカイツリーのある押上まで(半蔵門線)行き、撮影スポットで記念写真を撮りました。
今年の5月グランドオープンに合わせ工事が急ピッチで進んでいました。
あまり近いと全体が見えず、歩道上を歩いては止まり天を仰ぐを繰り返し、一周回りました。

次回はオープン後展望台に登って、関東平野を見てみたいと思います。
2012年01月04日
地元OB会主催のウォーキングに参加
OB会17ブロックのウォーキング会に参加
昨年から活動が多くなった17ブロックの恒例ウォーキング会
今まで天竜川の川原を歩いていましたがいつもの場所では面白くないからと
少し遠方へと今回は森町の山奥太田川ダム湖畔をウォーキングすることになりました。
2年前にできた新しいダムでウォーキングコースが作られていて、野鳥や自然を満喫
するのに素晴らしい環境です。
車で約1時間現地到着、ダムのほとりにダムのできる経緯や地元の紹介等案内場があり
そこで学習することができます。

太田川というと下流のイメージが強く落差の大きなイメージがないですが
ダムを覗くとかなり高低差のあるダムです。

そしてダム湖をウォーキングに出発40分のコース1時間のコースと健脚に合わせ
コースが作られている。ダム湖の奥は国有林で手つかずの雑木林自然を
満喫することができます。

一周回って湖畔で昼食稲荷ずしが美味しかった。
昨年から活動が多くなった17ブロックの恒例ウォーキング会
今まで天竜川の川原を歩いていましたがいつもの場所では面白くないからと
少し遠方へと今回は森町の山奥太田川ダム湖畔をウォーキングすることになりました。
2年前にできた新しいダムでウォーキングコースが作られていて、野鳥や自然を満喫
するのに素晴らしい環境です。
車で約1時間現地到着、ダムのほとりにダムのできる経緯や地元の紹介等案内場があり
そこで学習することができます。

太田川というと下流のイメージが強く落差の大きなイメージがないですが
ダムを覗くとかなり高低差のあるダムです。

そしてダム湖をウォーキングに出発40分のコース1時間のコースと健脚に合わせ
コースが作られている。ダム湖の奥は国有林で手つかずの雑木林自然を
満喫することができます。

一周回って湖畔で昼食稲荷ずしが美味しかった。
2012年01月04日
勤めていた会社のOB会主催の旅行に参加
始めてOB会の旅行に夫婦で参加しました。
70歳~80歳代の方が多く、先輩たちに囲まれての旅行となりました。
ちょっと若い我々には物足りなさもありましたが(30分~1時間でトイレ休憩)
何か目的地郡上八幡までが長く感じました。
それでもバスの中でのお酒おつまみを頂き、そして昼食もミニ会席を頂き
「いたせりつくせり」の旅行となりました。
郡上八幡城

初めての郡上八幡城をバックに

地元酒蔵見学
清酒「慕情」を試飲お正月用のお酒を購入

息子たちとの酒盛りが楽しい
70歳~80歳代の方が多く、先輩たちに囲まれての旅行となりました。
ちょっと若い我々には物足りなさもありましたが(30分~1時間でトイレ休憩)
何か目的地郡上八幡までが長く感じました。
それでもバスの中でのお酒おつまみを頂き、そして昼食もミニ会席を頂き
「いたせりつくせり」の旅行となりました。
郡上八幡城

初めての郡上八幡城をバックに

地元酒蔵見学
清酒「慕情」を試飲お正月用のお酒を購入

息子たちとの酒盛りが楽しい
2012年01月04日
市場開設
今年は近くに農作物を販売する市場が開設されました。
農園運営も5年が経ち試行錯誤の毎日ですが今年は農業個別所得補償制度を
活用する判断をいたしました。
そのため、わが農園も流通体制を作る必要が求められ、初めて市場を活用
することにしました。

ここは地元の小規模農家の野菜を消費者へ販売する目的で運営されていて
朝どり新鮮野菜を農家から仕入れ、安い価格で販売する形式で、ほとんど
全てが100円で売られています。

農園運営も5年が経ち試行錯誤の毎日ですが今年は農業個別所得補償制度を
活用する判断をいたしました。
そのため、わが農園も流通体制を作る必要が求められ、初めて市場を活用
することにしました。

ここは地元の小規模農家の野菜を消費者へ販売する目的で運営されていて
朝どり新鮮野菜を農家から仕入れ、安い価格で販売する形式で、ほとんど
全てが100円で売られています。

2012年01月04日
同期仲良し会
例年恒例の仲良し4人組の会を9月行いました。
今年は1人が体調不良で欠席の為、3人と少し寂しいゴルフとなりました。
今年は朝霧ジャンボリーでゴルフをやるため、前日富士宮に入り、観光を楽しみ
夜は酒を酌み交わし、翌日ゴルフを楽しんで2日間の旅行を堪能しました。
最初に白糸の滝を見学、台風による大雨で富士山からの湧水が富士宮一帯が冠水
富士山本宮浅間大社も湧水であふれていました。

白糸の滝もいつもの糸のような細い滝水ではなく、轟音を立てて落水していました。

夜は富士宮市内の「柚子」という小料理屋でおやじの創作料理を楽しみ、
そこで知り合った女性を囲んで楽しいひと時を過ごしました。
2日目良く晴れたいい天気に恵まれて、爽やかなゴルフを楽しみました。

今年は1人が体調不良で欠席の為、3人と少し寂しいゴルフとなりました。
今年は朝霧ジャンボリーでゴルフをやるため、前日富士宮に入り、観光を楽しみ
夜は酒を酌み交わし、翌日ゴルフを楽しんで2日間の旅行を堪能しました。
最初に白糸の滝を見学、台風による大雨で富士山からの湧水が富士宮一帯が冠水
富士山本宮浅間大社も湧水であふれていました。

白糸の滝もいつもの糸のような細い滝水ではなく、轟音を立てて落水していました。

夜は富士宮市内の「柚子」という小料理屋でおやじの創作料理を楽しみ、
そこで知り合った女性を囲んで楽しいひと時を過ごしました。
2日目良く晴れたいい天気に恵まれて、爽やかなゴルフを楽しみました。

2012年01月03日
久しぶり
8月からのご無沙汰です。
昨夏あまりに暑い日が続いた為、アルペンルートに行きました。
初めてのコース堪能してきました。(話題は時期外れです)
黒四ダムの迫力に圧倒されました。

大観峰からの絶景(残雪が残る景観は最高)

立山室堂にて高山植物が下界を忘れさせてくれました。

24年頂いた年賀状多くのご意見への返礼
昨夏あまりに暑い日が続いた為、アルペンルートに行きました。
初めてのコース堪能してきました。(話題は時期外れです)
黒四ダムの迫力に圧倒されました。

大観峰からの絶景(残雪が残る景観は最高)

立山室堂にて高山植物が下界を忘れさせてくれました。

24年頂いた年賀状多くのご意見への返礼
2011年07月20日
自治会活動(研修会第二東名)
7月12日引き続き新東名高速道路(第二東名)の建設現場を見学
場所は北区のフルーツパーク周辺から引佐JCまで
梅雨明けの暑い日でしたが現場責任者が現状の作業状況を説明してくれました。
浜松浜北SAの工事現場から入り、施設の建設状況を見学したのち、高速道路上を
バスで引佐JCまで移動約90%までできていて、いよいよ仕上げの段階に入るとの事
静岡県内は完成は24年3月末で一部通行可能となるそうです。

引佐JC周辺静岡県内の開通に伴い、東名からのう回路として三ヶ日JCとの取り付け道路
も並行して工事が進行中、こちらの道路は将来の三遠南信自動車道となる。

一度計画がストップしていたが静岡県は既存東名高速の迂回道路として重要視されていて
あまり影響なく工事が進んでいた。(当初3車線が2車線と規模は縮小している)
場所は北区のフルーツパーク周辺から引佐JCまで
梅雨明けの暑い日でしたが現場責任者が現状の作業状況を説明してくれました。
浜松浜北SAの工事現場から入り、施設の建設状況を見学したのち、高速道路上を
バスで引佐JCまで移動約90%までできていて、いよいよ仕上げの段階に入るとの事
静岡県内は完成は24年3月末で一部通行可能となるそうです。

引佐JC周辺静岡県内の開通に伴い、東名からのう回路として三ヶ日JCとの取り付け道路
も並行して工事が進行中、こちらの道路は将来の三遠南信自動車道となる。

一度計画がストップしていたが静岡県は既存東名高速の迂回道路として重要視されていて
あまり影響なく工事が進んでいた。(当初3車線が2車線と規模は縮小している)
2011年07月20日
自治会活動(研修会市の焼却場)
7月12日今年度の新人自治会長向け研修会に参加してきました。
1カ所目は浜松市西部清掃工場(竣工H21年1月31日)
特徴
環境保全対策の徹底とライフサイクルコストの低減
最新技術の導入による施設の信頼性と安全性の両立
ごみから回収したエネルギーの再利用と再資源化の推進
特徴が表現されている最新清掃工場を見学
ゴミ投入風景(収集車が搬入時計量し一日の処理能力をコンピューターにインプット)
扉の中は巨大なピットで大型クレーンが稼働中)

破断機・熱分解装置・燃焼溶融炉・高温空気加熱器・廃熱ボイラを通って
蒸気タービン発電機で発電
施設内及び隣接水泳場の空調照明に利用

焼却後出る灰でリサイクル商品が作られている。

篠原町に完成したゴミ焼却場は将来規模が不足しても増設できるよう、余剰地も確保されていた。
隣接地には「ToBiO」の名称で国際水泳場が作られている。
市民の利用を促進中
1カ所目は浜松市西部清掃工場(竣工H21年1月31日)
特徴
環境保全対策の徹底とライフサイクルコストの低減
最新技術の導入による施設の信頼性と安全性の両立
ごみから回収したエネルギーの再利用と再資源化の推進
特徴が表現されている最新清掃工場を見学
ゴミ投入風景(収集車が搬入時計量し一日の処理能力をコンピューターにインプット)
扉の中は巨大なピットで大型クレーンが稼働中)

破断機・熱分解装置・燃焼溶融炉・高温空気加熱器・廃熱ボイラを通って
蒸気タービン発電機で発電
施設内及び隣接水泳場の空調照明に利用

焼却後出る灰でリサイクル商品が作られている。

篠原町に完成したゴミ焼却場は将来規模が不足しても増設できるよう、余剰地も確保されていた。
隣接地には「ToBiO」の名称で国際水泳場が作られている。
市民の利用を促進中
2011年07月20日
高野山へ
6月29日バスツアーに参加して、昨年の四国巡礼の締めくくりとして
高野山奥ノ院弘法大師御廟への報告お礼参りに行ってきました。
1200年前の弘仁7年(816年)真言密教の根本道場とするため
嵯峨天皇に高野山下賜の請願を上表し、許可賜り7里四方の山林を与えられる。
835年弘法大師はこの地高野山奥ノ院に入定(永遠の瞑想/禅定)する。
「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」
(この世に身を留め、未来永劫に人々を救い続けます)と誓願し入定
「同行二人」巡礼のとき弘法大師がいつも一緒にいてくれる。に通ず
奥ノ院一ノ橋にてお参りを済ませ帰路つく記念に

奥ノ院お参りの前に伽藍と金剛峯寺を参拝
高野山真言宗総本山末寺四千カ寺
屋根の上に当時の防災のための桶が乗せられている。

金堂(本尊は高村光雲作・薬師如来奉安)

根本大堂(胎蔵界の大日如来と金剛界の四仏が祀られている。)
真言密教の根本道場として建立されたもの

四国巡礼は私の今後の道しるべとなる旅でした。
また煩悩に迷いがでたら再度挑戦したいと思います。
高野山奥ノ院弘法大師御廟への報告お礼参りに行ってきました。
1200年前の弘仁7年(816年)真言密教の根本道場とするため
嵯峨天皇に高野山下賜の請願を上表し、許可賜り7里四方の山林を与えられる。
835年弘法大師はこの地高野山奥ノ院に入定(永遠の瞑想/禅定)する。
「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」
(この世に身を留め、未来永劫に人々を救い続けます)と誓願し入定
「同行二人」巡礼のとき弘法大師がいつも一緒にいてくれる。に通ず
奥ノ院一ノ橋にてお参りを済ませ帰路つく記念に

奥ノ院お参りの前に伽藍と金剛峯寺を参拝
高野山真言宗総本山末寺四千カ寺
屋根の上に当時の防災のための桶が乗せられている。

金堂(本尊は高村光雲作・薬師如来奉安)

根本大堂(胎蔵界の大日如来と金剛界の四仏が祀られている。)
真言密教の根本道場として建立されたもの

四国巡礼は私の今後の道しるべとなる旅でした。
また煩悩に迷いがでたら再度挑戦したいと思います。
2011年06月08日
6月の花
今日は田植えも終わりのんびりと過ごそうと思い、庭の草花を鑑賞しました。
これはアジサイかな?

何といっても今はアジサイが美しいですね。

玄関先のスイレン、昨年から咲き始めました。

又何か見つけたら写真に撮りたいと思います。
これはアジサイかな?

何といっても今はアジサイが美しいですね。

玄関先のスイレン、昨年から咲き始めました。

又何か見つけたら写真に撮りたいと思います。
2011年06月06日
農園の野菜たちのその後
5月上旬に種まきや苗の移植を済ませた野菜たち。
約1か月が経ち、元気に成長した姿です。前回の写真と比較してみてください。
畑へ行く楽しいひと時です。
枝豆 まだ実が付くには1.5か月ぐらいかかるかな

にんじん 今成長とともに間隔が狭くなってきたため、間引きして抜き菜を
食べています。(炒め物、てんぷら等)

ブロッコリー 大きく成長してきましたが青虫との戦いです。

インゲン豆 背丈は小さいけど花がたくさん付き、収穫がマジかです。

トーモロコシ 幹が太く順調に育っています。根元のやごカキをして実の付くのを待っています。

ジャガイモ もう収穫です。晴れが続いた頃収穫しようと準備中です。

すいか 移植後寒くなったり暖かくなったりと毎日が心配でしたがやっとツルが伸び始めました。
藁を敷いて成長を待っているところです。

トマト 50cm位に成長しました。棚を作ってまっすぐ伸びるようにしています。

なす これも50cm位になり花が咲き始めました。実が付くのもマジかです。

ケール 沢山目が出て、成長しています。大小不揃いですが大きめの葉をジュースにしました。

キューリ すでに1m位になったものがあります。3cm位のキューリが実を付けました。

春から植付や草取りに夢中になっている間に成長した姿です。
これからは収穫の楽しさが待っています。
約1か月が経ち、元気に成長した姿です。前回の写真と比較してみてください。
畑へ行く楽しいひと時です。
枝豆 まだ実が付くには1.5か月ぐらいかかるかな

にんじん 今成長とともに間隔が狭くなってきたため、間引きして抜き菜を
食べています。(炒め物、てんぷら等)

ブロッコリー 大きく成長してきましたが青虫との戦いです。

インゲン豆 背丈は小さいけど花がたくさん付き、収穫がマジかです。

トーモロコシ 幹が太く順調に育っています。根元のやごカキをして実の付くのを待っています。

ジャガイモ もう収穫です。晴れが続いた頃収穫しようと準備中です。

すいか 移植後寒くなったり暖かくなったりと毎日が心配でしたがやっとツルが伸び始めました。
藁を敷いて成長を待っているところです。

トマト 50cm位に成長しました。棚を作ってまっすぐ伸びるようにしています。

なす これも50cm位になり花が咲き始めました。実が付くのもマジかです。

ケール 沢山目が出て、成長しています。大小不揃いですが大きめの葉をジュースにしました。

キューリ すでに1m位になったものがあります。3cm位のキューリが実を付けました。

春から植付や草取りに夢中になっている間に成長した姿です。
これからは収穫の楽しさが待っています。
2011年05月15日
農園の野菜たち
4月末から5月上旬にかけ、たくさんの野菜苗の植え付けをしました。
これからの成長が楽しみです。
枝豆

にんじん

ブロッコリー

インゲン豆

トーモロコシ

ジャガイモ(3月下旬植付)

里芋

すいか

トマト

茄子

ヤーコン

ケール

イチゴ(昨年末植付)

その後もかぼちゃ、マクワウリ、ちんげんさいを植付ました。
これからの成長が楽しみです。
枝豆

にんじん

ブロッコリー

インゲン豆

トーモロコシ

ジャガイモ(3月下旬植付)

里芋

すいか

トマト

茄子

ヤーコン

ケール

イチゴ(昨年末植付)

その後もかぼちゃ、マクワウリ、ちんげんさいを植付ました。
2011年05月13日
今日の食材紹介
5月13日久しぶりに晴れた一日、畑に植えた苗の状況を見に行く。
冬に植えたえんどう豆のさやが白くなりかけているのを発見、収穫する。
今日は豆ごはんを作ることにする。私の好物の一つです。
家庭菜園の楽しみを味わうこととする。


冬に植えたえんどう豆のさやが白くなりかけているのを発見、収穫する。
今日は豆ごはんを作ることにする。私の好物の一つです。
家庭菜園の楽しみを味わうこととする。


2011年05月13日
23年農園の春
今年初めての農園情報となります。
今年の春先は自治会活動や統一地方選挙があり、ブログの更新もままならず時間だけが
過ぎてしまいました。
イチゴの収穫 昨年暮れに植え替えたイチゴが4月肥料を与え、5月の陽気に大きな実を
つけ、真っ赤に色づいたため、収穫したものです。
今年は大粒な実がたくさん出来ました。甘さも納得いく味で、おいしくいただいています。

田植えの準備 5月1日種まきを行い(例年と同じ)、5月13日かぶせていた銀のビニールを
取り除いた瞬間の早苗です。発芽後5cmに成長した姿です。
これから太陽の光を浴び、15cm位まで育て、田植えを迎えます。今年は28日(土曜)位を
予定しています。


今年の春先は自治会活動や統一地方選挙があり、ブログの更新もままならず時間だけが
過ぎてしまいました。
イチゴの収穫 昨年暮れに植え替えたイチゴが4月肥料を与え、5月の陽気に大きな実を
つけ、真っ赤に色づいたため、収穫したものです。
今年は大粒な実がたくさん出来ました。甘さも納得いく味で、おいしくいただいています。

田植えの準備 5月1日種まきを行い(例年と同じ)、5月13日かぶせていた銀のビニールを
取り除いた瞬間の早苗です。発芽後5cmに成長した姿です。
これから太陽の光を浴び、15cm位まで育て、田植えを迎えます。今年は28日(土曜)位を
予定しています。


2011年03月08日
四国お遍路の旅21
9日目も順調に進む。高松市内の栗林公園を横に見ながら、源平合戦の舞台壇ノ浦へ
第八十四番札所・南面山・屋島寺 天平勝宝6年、鑑真和上が唐の国より正式に和国に
迎えられる。おとずれたのが屋島山上、北嶺こそ伽藍建立の霊地なりとして念誦、開基。
その後、和上の弟子の恵雲師が登擧し、堂宇を建立し、1代目の住職となる。815年
(弘仁6年)嵯峨天皇の勅願を奉じて来錫した弘法大師が北嶺にあった伽藍を南嶺に移し
十一面観世音菩薩を刻んで本尊とする。寺宝として平重盛寄進の鉄灯篭、土佐光信筆
源平合戦図などがある。
詠歌・あずさ弓、屋島の宮にもうでつつ、いのりをかけて、いさむますらお

第八十五番札所・五剣山・八栗寺 827年(天長6年)弘法大師がこの山に登って求聞持
の法を修され、満願日に空中より五柄の利剣が降り、金剛蔵王が示現、山の鎮護を告げる。
大師は剣を山中に埋め、岩盤に毘慮遮那の像を刻み、のち千手観世音菩薩像を刻んで
堂宇を建立。
詠歌・ぼんのぅを、胸の智火にて、八栗をば、修行者ならで、誰が知るべき

第八十六番札所・補陀落山・志度寺 推古天皇の御代園の子尼は漂着した霊木で十一面
観音像を刻まんと腐心していると、仏師姿の男が現れ、単日に等身大の像を彫りあげる。
「われは補陀落の観音なり」と告げ去った。堂宇建立の際も閻魔王の出現があったという
不思議な縁起を秘めた寺。事を奉聞された推古天皇は当寺を勅願所に定める。
釈迦三尊彫刻の上下表裏なき面向不背の宝珠が志度浦の竜神に奪われ、取り戻すため
房前の漁師の娘と夫婦になり、その妻が命と引き換えに宝珠を取り戻す。妻の菩提を
とむらおうと五間四面の堂宇を建て、志度道場と命名。その後行基菩薩が訪れ志度寺と改号
詠歌・いざさらば、こよいはおこに、志度の寺、いのりの声を、耳にふれつつ

第八十七番札所・補陀落山・長尾寺 聖徳太子の開創と伝えられている。739年(天平11年)
来錫した行基菩薩は霊夢を感じ、道端の楊柳で聖観世音菩薩像を刻んで小堂を建て安置
その後、弘法大師が唐の国へ渡る前に当寺を訪れ求法を祈願、帰朝後は堂宇を建て、大
日経を一石に一字ずつ書き写して万霊の供養塔を建立、年頭七夜の護摩秘法を厳修され、
その折札を衆生に与えたといわれている。
詠歌・あしびきの、山鳥の尾の、長尾寺、秋の夜すがら、み名をとなえよ

第八十八番札所・医王山・大窪寺 元正天皇勅願寺、天皇の御代、当地来錫にした
行基菩薩は霊感を得、持念された。その後、唐より帰朝した弘法大師は奥の院で
求聞持の秘法を修せられた。大師は大きな窪の側に堂宇を建立、自ら座像等身大の
薬師如来を刻んで本尊として安置。そして四国霊場ご開創のあいだ所持された三国
伝来の錫杖を納めて88番札所と定め、結願寺と定めた。
詠歌・なむやくし、諸病なかれと、願いつつ、まいれる人は、おおくぼの寺

結願寺の話
長尾寺(87番札所)の東に、真言宗西教寺があり、そこに俗称穴薬師と呼ばれる奥の
院がある。かつて大師はここを結願寺にしたいと思い、一夜のうちに本尊を刻もうと
発願された。ところが天邪鬼が、鶏の鳴き声をつくって朝を告げたので、大師は自らの
力不足を恥じて諦めたという。今も彫りかけの摩崖仏が残っている。
お名残や これが札所の打ち納め またのご縁を結びたまえ
88か所を打ち納め、最初の1番札所へ打ち納め報告をするため、再度徳島の霊山寺へ再訪
お茶お菓子をごちそうになり岐路へ
11月21日PM4:30浜松を出発してお遍路の旅に出る。計画より一日半ほど遅れるが
東名、湾岸道、第二名阪道を西の向かう。当日は日曜日とあって高速道路料金1000円の
割引料金で長距離ドライブ等での恒例渋滞、豊田JCTまで渋滞、その後四日市JCTから
亀山JCT渋滞と時間ばかりが過ぎてゆく。草津で名神高速と合流して西宮ICまで流れる。
その後も阪神高速を順調に進み、神戸淡路鳴門自動車道へ初めての明石海峡大橋へ。
サンフランシスコのゴールデンブリッジをもしのぐ大きさを実感するも、車ではアッと
いう間に通過、大鳴門大橋も夜中に通過、徳島市内に夜中の12:00到着でした。
22日から9日間11月30日までの巡礼を無事済ませることができました。その足で
大阪の嫁いだ娘宅へ立寄り疲れを癒し、浜松へ無事戻りました。
屋島寺へ向かう屋島ドライブウェイの途中展望駐車場から望む壇ノ浦古戦場

八栗寺へ登る八栗ケーブル前

第八十四番札所・南面山・屋島寺 天平勝宝6年、鑑真和上が唐の国より正式に和国に
迎えられる。おとずれたのが屋島山上、北嶺こそ伽藍建立の霊地なりとして念誦、開基。
その後、和上の弟子の恵雲師が登擧し、堂宇を建立し、1代目の住職となる。815年
(弘仁6年)嵯峨天皇の勅願を奉じて来錫した弘法大師が北嶺にあった伽藍を南嶺に移し
十一面観世音菩薩を刻んで本尊とする。寺宝として平重盛寄進の鉄灯篭、土佐光信筆
源平合戦図などがある。
詠歌・あずさ弓、屋島の宮にもうでつつ、いのりをかけて、いさむますらお
第八十五番札所・五剣山・八栗寺 827年(天長6年)弘法大師がこの山に登って求聞持
の法を修され、満願日に空中より五柄の利剣が降り、金剛蔵王が示現、山の鎮護を告げる。
大師は剣を山中に埋め、岩盤に毘慮遮那の像を刻み、のち千手観世音菩薩像を刻んで
堂宇を建立。
詠歌・ぼんのぅを、胸の智火にて、八栗をば、修行者ならで、誰が知るべき
第八十六番札所・補陀落山・志度寺 推古天皇の御代園の子尼は漂着した霊木で十一面
観音像を刻まんと腐心していると、仏師姿の男が現れ、単日に等身大の像を彫りあげる。
「われは補陀落の観音なり」と告げ去った。堂宇建立の際も閻魔王の出現があったという
不思議な縁起を秘めた寺。事を奉聞された推古天皇は当寺を勅願所に定める。
釈迦三尊彫刻の上下表裏なき面向不背の宝珠が志度浦の竜神に奪われ、取り戻すため
房前の漁師の娘と夫婦になり、その妻が命と引き換えに宝珠を取り戻す。妻の菩提を
とむらおうと五間四面の堂宇を建て、志度道場と命名。その後行基菩薩が訪れ志度寺と改号
詠歌・いざさらば、こよいはおこに、志度の寺、いのりの声を、耳にふれつつ
第八十七番札所・補陀落山・長尾寺 聖徳太子の開創と伝えられている。739年(天平11年)
来錫した行基菩薩は霊夢を感じ、道端の楊柳で聖観世音菩薩像を刻んで小堂を建て安置
その後、弘法大師が唐の国へ渡る前に当寺を訪れ求法を祈願、帰朝後は堂宇を建て、大
日経を一石に一字ずつ書き写して万霊の供養塔を建立、年頭七夜の護摩秘法を厳修され、
その折札を衆生に与えたといわれている。
詠歌・あしびきの、山鳥の尾の、長尾寺、秋の夜すがら、み名をとなえよ
第八十八番札所・医王山・大窪寺 元正天皇勅願寺、天皇の御代、当地来錫にした
行基菩薩は霊感を得、持念された。その後、唐より帰朝した弘法大師は奥の院で
求聞持の秘法を修せられた。大師は大きな窪の側に堂宇を建立、自ら座像等身大の
薬師如来を刻んで本尊として安置。そして四国霊場ご開創のあいだ所持された三国
伝来の錫杖を納めて88番札所と定め、結願寺と定めた。
詠歌・なむやくし、諸病なかれと、願いつつ、まいれる人は、おおくぼの寺
結願寺の話
長尾寺(87番札所)の東に、真言宗西教寺があり、そこに俗称穴薬師と呼ばれる奥の
院がある。かつて大師はここを結願寺にしたいと思い、一夜のうちに本尊を刻もうと
発願された。ところが天邪鬼が、鶏の鳴き声をつくって朝を告げたので、大師は自らの
力不足を恥じて諦めたという。今も彫りかけの摩崖仏が残っている。
お名残や これが札所の打ち納め またのご縁を結びたまえ
88か所を打ち納め、最初の1番札所へ打ち納め報告をするため、再度徳島の霊山寺へ再訪
お茶お菓子をごちそうになり岐路へ
11月21日PM4:30浜松を出発してお遍路の旅に出る。計画より一日半ほど遅れるが
東名、湾岸道、第二名阪道を西の向かう。当日は日曜日とあって高速道路料金1000円の
割引料金で長距離ドライブ等での恒例渋滞、豊田JCTまで渋滞、その後四日市JCTから
亀山JCT渋滞と時間ばかりが過ぎてゆく。草津で名神高速と合流して西宮ICまで流れる。
その後も阪神高速を順調に進み、神戸淡路鳴門自動車道へ初めての明石海峡大橋へ。
サンフランシスコのゴールデンブリッジをもしのぐ大きさを実感するも、車ではアッと
いう間に通過、大鳴門大橋も夜中に通過、徳島市内に夜中の12:00到着でした。
22日から9日間11月30日までの巡礼を無事済ませることができました。その足で
大阪の嫁いだ娘宅へ立寄り疲れを癒し、浜松へ無事戻りました。
屋島寺へ向かう屋島ドライブウェイの途中展望駐車場から望む壇ノ浦古戦場
八栗寺へ登る八栗ケーブル前
2011年03月07日
四国お遍路の旅20
9日目の朝を迎え、いよいよ終わりに近づいてきました。
今日順調にいけば、巡礼も完結出来る予定。
88ケ所が完了した時点で、1番札所へ報告参りをすることが習わしのようで、今日は
11ケ所を目指します。
第七十九番札所・金華山・天皇寺 弘仁年間弘法大師がこの地に来錫し空中より霊妙
の声を訊いた。大師は早速八十八の霊泉で得た霊木で十一面観世音菩薩、愛染明王、
阿弥陀如来の三尊像を刻み堂宇を建立して、摩尼珠院・妙成就寺と名づけた。のち
讃岐に流され崩御された崇徳上皇の柩を安置したことから寺号を天皇寺と改号する。
詠歌・十らくの、浮きよの中を、たずぬべし、天皇さえも、さすらいぞある

第八十番札所・白牛山・國分寺 741年(天平13年)聖武天皇は各国に国分寺の建立を
宣べ賜われた。行基菩薩は勅命により讃岐に開創する。弘仁年間この寺に留錫され、
行基が刻んだ大立像を補修して、札所と定める。
詠歌・国をわけ、野山をしのぎ、てらでらに、まいれる人を、たすけましませ

第八十一番札所・綾松山・白峰寺 815年(弘仁6年)弘法大師は白峰山に登って、山頂に
如意宝珠を埋め、閼伽井を掘って衆生在済を祈願した。860年(貞観2年)智証大師が
来錫の折、白峰大権現の「海上にまで届く異光あり、その霊木で本尊を刻むべし」との
ご神託を受け、千手観音菩薩を刻んで本尊として安置。
詠歌・しもさむく、つゆしろたえの、てらのうち、みなをとなふる、のりのこえごえ

第八十二番札所・青峰山・根香寺 弘仁年間、弘法大師巡錫中当地で金剛界曼荼羅の
五智如来を感得した。大師はそのことにちなんでこの山を青峰、赤峰、黒峰、黄峰、白峰
と命名し、その青峰に花蔵院を創建し五大明王を祀る。その後、832年(天長9年)
智証大師が来錫したとき、市之瀬明神が現れ、「この地は霊地なり」との神託あり、
智証大師は蓮華谷の香木で千手観世音菩薩を刻んで千手院を創建して安置した。
詠歌・よいのまの、たえふるしもの、消えぬれば、あとこそかねの、ごんぎょうのこえ

第八十三番札所・神毫山・一宮寺 大宝年間(8世紀の初め)義渕僧正によって創建
した時は大宝寺と号した。その後、田村神社を一国に一社建立せよとの勅命で、行基
菩薩が創建したのが讃岐一宮の田村神社であり、寺はその別当寺となって神毫山一宮寺
と改号した。更にその後、806~810年(大同年間)弘法大師が来錫して聖観世音菩薩を
刻んで、本尊として安置し、札所とする。
詠歌・さぬき一宮の、御前に、あふぎきて、神の心を、だれかしらゆふ

坂出から高松まで順調に進む。就職したての頃、四国を担当してたびたび訪れた場所
五色台スカイライン、農家で自家製讃岐うどんが懐かしく思えた。しかし、計画した
日程をオーバーしているので、寄り道ができずひたすら巡礼を足早に進めた。
後半は次回ご紹介とします。
今日順調にいけば、巡礼も完結出来る予定。
88ケ所が完了した時点で、1番札所へ報告参りをすることが習わしのようで、今日は
11ケ所を目指します。
第七十九番札所・金華山・天皇寺 弘仁年間弘法大師がこの地に来錫し空中より霊妙
の声を訊いた。大師は早速八十八の霊泉で得た霊木で十一面観世音菩薩、愛染明王、
阿弥陀如来の三尊像を刻み堂宇を建立して、摩尼珠院・妙成就寺と名づけた。のち
讃岐に流され崩御された崇徳上皇の柩を安置したことから寺号を天皇寺と改号する。
詠歌・十らくの、浮きよの中を、たずぬべし、天皇さえも、さすらいぞある
第八十番札所・白牛山・國分寺 741年(天平13年)聖武天皇は各国に国分寺の建立を
宣べ賜われた。行基菩薩は勅命により讃岐に開創する。弘仁年間この寺に留錫され、
行基が刻んだ大立像を補修して、札所と定める。
詠歌・国をわけ、野山をしのぎ、てらでらに、まいれる人を、たすけましませ
第八十一番札所・綾松山・白峰寺 815年(弘仁6年)弘法大師は白峰山に登って、山頂に
如意宝珠を埋め、閼伽井を掘って衆生在済を祈願した。860年(貞観2年)智証大師が
来錫の折、白峰大権現の「海上にまで届く異光あり、その霊木で本尊を刻むべし」との
ご神託を受け、千手観音菩薩を刻んで本尊として安置。
詠歌・しもさむく、つゆしろたえの、てらのうち、みなをとなふる、のりのこえごえ
第八十二番札所・青峰山・根香寺 弘仁年間、弘法大師巡錫中当地で金剛界曼荼羅の
五智如来を感得した。大師はそのことにちなんでこの山を青峰、赤峰、黒峰、黄峰、白峰
と命名し、その青峰に花蔵院を創建し五大明王を祀る。その後、832年(天長9年)
智証大師が来錫したとき、市之瀬明神が現れ、「この地は霊地なり」との神託あり、
智証大師は蓮華谷の香木で千手観世音菩薩を刻んで千手院を創建して安置した。
詠歌・よいのまの、たえふるしもの、消えぬれば、あとこそかねの、ごんぎょうのこえ
第八十三番札所・神毫山・一宮寺 大宝年間(8世紀の初め)義渕僧正によって創建
した時は大宝寺と号した。その後、田村神社を一国に一社建立せよとの勅命で、行基
菩薩が創建したのが讃岐一宮の田村神社であり、寺はその別当寺となって神毫山一宮寺
と改号した。更にその後、806~810年(大同年間)弘法大師が来錫して聖観世音菩薩を
刻んで、本尊として安置し、札所とする。
詠歌・さぬき一宮の、御前に、あふぎきて、神の心を、だれかしらゆふ
坂出から高松まで順調に進む。就職したての頃、四国を担当してたびたび訪れた場所
五色台スカイライン、農家で自家製讃岐うどんが懐かしく思えた。しかし、計画した
日程をオーバーしているので、寄り道ができずひたすら巡礼を足早に進めた。
後半は次回ご紹介とします。
2011年03月04日
四国お遍路の旅19
8日目いよいよ弘法大師ご誕生の霊蹟である善通寺へ
あまりにも大きく又訪問者も多い。駐車場からの橋から眺める善通寺が写真スポット
である。記念写真のカメラマンも待機して、ひっきりなくお参りにくる客、団体客を
待っている。その横の橋の欄干での一枚の写真

第七十五番札所・五岳山・善通寺 屏風ケ浦五岳山誕生院・総本山善通寺と号す。
唐から帰朝した807年(大同2年)先祖の氏寺を建立せんと父善通郷から寺領荘園四町余
を拝受し、唐の青竜寺に模した堂宇を建てる。寺号は父の名をとって善通寺と命名、
山号は背後の五つの山にちなんで五岳山と号し、院号は大師誕生の所として誕生院とした。
境内にはご両親及び稚児大師木像、産湯の井戸、御影池、瞬目大師、二十日橋、後嵯峨、
亀山、後宇多の三帝御廟、大樟、法然上人逆修塔、足利尊氏利生塔仙遊ケ原、西行安と
久之松、旅大師、雲気、大麻など五大明神があり、国宝の行基菩薩作地蔵尊、大師作
吉祥天、大師母公筆の法華経序品一巻や三国伝来の金剛錫杖がある。
詠歌・われすまわ、よもきえはてじ、善通寺、ふかきちかいの、のりのともしび

総本山・五重塔「大変大きく美しい」

第七十六番札所・鶏足山・金倉寺 774年(宝亀5年)長者和気道善の開基、当時道善寺と号す。
当山は弘法大師の甥でのちの延暦寺五代座主となり三井園城寺を賜った智証大師の誕生地である。
弘法大師が唐より帰朝して伽藍を造営し薬師如来を刻んで本尊として安置、928年醍醐天皇の
勅命で金倉寺と改称した。境内には野木将軍の妻返しの松がある。
詠歌・まことにも、神仏僧を、ひらくれば、しんごんかじの、ふしぎなりけり

第七十七番札所・桑多山・道隆寺 もと和気道隆公の荘園であった。荘園内の桑畑で
749年(天平勝宝元年)ある夜怪光が起きた。道隆公は怪光を退治したが、誤って乳母を
射殺、乳母の供養を願い桑の木で薬師如来を刻み、堂宇を建立して安置したのが始まり。
詠歌・ねがいをば、ぶつどうりゅうに、入りはてて、ぼだいの月を、見まくほしさに

第七十八番札所・仏光山・郷照寺 725年(神亀2年)行基菩薩が阿弥陀如来を刻んで
本尊として安置し仏光山・道場寺と命名した。1288年(正応元年)一遍上人が来錫し、
踊り念仏道場になる。
詠歌・おどりはね、ねんぶつ申す、道場寺、ひょうしをそろへ、かねをうつなり

PM5時となり今日はこれで終わりとする。
せっかく讃岐まで来たので、金毘羅さんまで足を延ばそうと金毘羅宮のふもとまで行くが
やはり時間の関係で名物の石段までは行けず、参道のふもとで記念に写真をとる。

かなり暗くなってしまい、宿を探す。明日の札所近くの坂出市の温泉ホテルを確保
無事到着、旅の疲れを温泉で癒し、就寝
あまりにも大きく又訪問者も多い。駐車場からの橋から眺める善通寺が写真スポット
である。記念写真のカメラマンも待機して、ひっきりなくお参りにくる客、団体客を
待っている。その横の橋の欄干での一枚の写真
第七十五番札所・五岳山・善通寺 屏風ケ浦五岳山誕生院・総本山善通寺と号す。
唐から帰朝した807年(大同2年)先祖の氏寺を建立せんと父善通郷から寺領荘園四町余
を拝受し、唐の青竜寺に模した堂宇を建てる。寺号は父の名をとって善通寺と命名、
山号は背後の五つの山にちなんで五岳山と号し、院号は大師誕生の所として誕生院とした。
境内にはご両親及び稚児大師木像、産湯の井戸、御影池、瞬目大師、二十日橋、後嵯峨、
亀山、後宇多の三帝御廟、大樟、法然上人逆修塔、足利尊氏利生塔仙遊ケ原、西行安と
久之松、旅大師、雲気、大麻など五大明神があり、国宝の行基菩薩作地蔵尊、大師作
吉祥天、大師母公筆の法華経序品一巻や三国伝来の金剛錫杖がある。
詠歌・われすまわ、よもきえはてじ、善通寺、ふかきちかいの、のりのともしび
総本山・五重塔「大変大きく美しい」
第七十六番札所・鶏足山・金倉寺 774年(宝亀5年)長者和気道善の開基、当時道善寺と号す。
当山は弘法大師の甥でのちの延暦寺五代座主となり三井園城寺を賜った智証大師の誕生地である。
弘法大師が唐より帰朝して伽藍を造営し薬師如来を刻んで本尊として安置、928年醍醐天皇の
勅命で金倉寺と改称した。境内には野木将軍の妻返しの松がある。
詠歌・まことにも、神仏僧を、ひらくれば、しんごんかじの、ふしぎなりけり
第七十七番札所・桑多山・道隆寺 もと和気道隆公の荘園であった。荘園内の桑畑で
749年(天平勝宝元年)ある夜怪光が起きた。道隆公は怪光を退治したが、誤って乳母を
射殺、乳母の供養を願い桑の木で薬師如来を刻み、堂宇を建立して安置したのが始まり。
詠歌・ねがいをば、ぶつどうりゅうに、入りはてて、ぼだいの月を、見まくほしさに
第七十八番札所・仏光山・郷照寺 725年(神亀2年)行基菩薩が阿弥陀如来を刻んで
本尊として安置し仏光山・道場寺と命名した。1288年(正応元年)一遍上人が来錫し、
踊り念仏道場になる。
詠歌・おどりはね、ねんぶつ申す、道場寺、ひょうしをそろへ、かねをうつなり
PM5時となり今日はこれで終わりとする。
せっかく讃岐まで来たので、金毘羅さんまで足を延ばそうと金毘羅宮のふもとまで行くが
やはり時間の関係で名物の石段までは行けず、参道のふもとで記念に写真をとる。
かなり暗くなってしまい、宿を探す。明日の札所近くの坂出市の温泉ホテルを確保
無事到着、旅の疲れを温泉で癒し、就寝
2011年03月02日
四国お遍路の旅18
8日目67番札所から香川県に入る。四国4県最後の県となる。
広い讃岐平野を走り、多くの札所を訪れています。
第七十番札所・七宝山・本山寺 807年(大同2年)平城天皇の勅願により、国家鎮護を
祈願した弘法大師が、一夜のうちに堂宇を建立して馬頭観世音菩薩を刻んで安置した。
本尊彫刻、阿弥陀、薬師の両如来はともに国宝。本山寺は戦国の兵火や火災などはまぬ
かれた為、仁王門、五重塔は往古そのまま。
詠歌・もとやまに、だれかうえける、花なれや、春こそたおれ、たむけにぞなる

第七十一番札所・剣五山・弥谷寺 天平年間、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創
当時八国が眺望できることにちなみ蓮華山・八国寺と号していたが、延歴23年弘法
大師入唐真言密教を受法、大同2年再度修行中空中から五柄の剣が降る霊を感じて
剣五山と改号した。弥谷寺は岩盤の中に堂宇があり、四国唯一の摩崖仏がある。
詠歌・悪人と、ゆきづれなんも、いやだにじ、ただかりそめも、良き友ぞよき

第七十二番札所・我拝師山・曼荼羅寺 弘法大師の一族である佐伯家の氏寺として
596年(推古4年)建立。807年(大同2年)帰国した大師が母御の菩提を祈らんがため
唐の青竜寺に模した堂塔を建立、本尊として大日如来を勧請、御請来の金剛界、胎蔵界
の両界曼荼羅を安置し奉る。境内には不老松(大師手植えの松)がある。
詠歌・わずかにも、まんだらおがむ人はただ、ふたたび、みたび、かえらざらまし

第七十三番札所・我拝師山・出釈迦寺 弘法大師7歳の時、仏道にはいる証を得ようと
して481mの倭斯濃山の頂に立ち「仏道に入り、衆生を救わんとするわが願い、成就する
ものならば霊験を、さもなくば、賭したこの身を諸仏に奉げる」と念じ断崖から身を
躍らせた。落下する大師の下方に紫雲がたなびき、蓮花の花に座した釈迦如来が出現
「一生成仏」の宣を授け、大師の願いが叶えられた。釈迦如来を刻んで出釈迦寺を創建
詠歌・まよいぬる、ろくどぅ衆生、すくわんと、とうとき山に、いずるしゃかでら

第七十四番札所・医王山・甲山寺 弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に迦藍を建立せんと
霊地を求め探していたとき、山麓の岩窟から老翁が現れ「ここが探し求めている霊地なり。
一寺を建立せよ」と霊示を受ける。大師は石を割って毘沙門天を刻んで安置したのが始め
詠歌・十二神、みかたにもてる、いくさには、おのれとこころ、かぶとやまかな

弘法大師出身地だけあって、大師の原点がここ讃岐であることが垣間見えるきがする。
広い讃岐平野を走り、多くの札所を訪れています。
第七十番札所・七宝山・本山寺 807年(大同2年)平城天皇の勅願により、国家鎮護を
祈願した弘法大師が、一夜のうちに堂宇を建立して馬頭観世音菩薩を刻んで安置した。
本尊彫刻、阿弥陀、薬師の両如来はともに国宝。本山寺は戦国の兵火や火災などはまぬ
かれた為、仁王門、五重塔は往古そのまま。
詠歌・もとやまに、だれかうえける、花なれや、春こそたおれ、たむけにぞなる
第七十一番札所・剣五山・弥谷寺 天平年間、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創
当時八国が眺望できることにちなみ蓮華山・八国寺と号していたが、延歴23年弘法
大師入唐真言密教を受法、大同2年再度修行中空中から五柄の剣が降る霊を感じて
剣五山と改号した。弥谷寺は岩盤の中に堂宇があり、四国唯一の摩崖仏がある。
詠歌・悪人と、ゆきづれなんも、いやだにじ、ただかりそめも、良き友ぞよき
第七十二番札所・我拝師山・曼荼羅寺 弘法大師の一族である佐伯家の氏寺として
596年(推古4年)建立。807年(大同2年)帰国した大師が母御の菩提を祈らんがため
唐の青竜寺に模した堂塔を建立、本尊として大日如来を勧請、御請来の金剛界、胎蔵界
の両界曼荼羅を安置し奉る。境内には不老松(大師手植えの松)がある。
詠歌・わずかにも、まんだらおがむ人はただ、ふたたび、みたび、かえらざらまし
第七十三番札所・我拝師山・出釈迦寺 弘法大師7歳の時、仏道にはいる証を得ようと
して481mの倭斯濃山の頂に立ち「仏道に入り、衆生を救わんとするわが願い、成就する
ものならば霊験を、さもなくば、賭したこの身を諸仏に奉げる」と念じ断崖から身を
躍らせた。落下する大師の下方に紫雲がたなびき、蓮花の花に座した釈迦如来が出現
「一生成仏」の宣を授け、大師の願いが叶えられた。釈迦如来を刻んで出釈迦寺を創建
詠歌・まよいぬる、ろくどぅ衆生、すくわんと、とうとき山に、いずるしゃかでら
第七十四番札所・医王山・甲山寺 弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に迦藍を建立せんと
霊地を求め探していたとき、山麓の岩窟から老翁が現れ「ここが探し求めている霊地なり。
一寺を建立せよ」と霊示を受ける。大師は石を割って毘沙門天を刻んで安置したのが始め
詠歌・十二神、みかたにもてる、いくさには、おのれとこころ、かぶとやまかな
弘法大師出身地だけあって、大師の原点がここ讃岐であることが垣間見えるきがする。


