四国お遍路の旅13

6日目の朝、道後温泉ホテルで朝を迎えました。
松山市内には札所が8か所あり、近場から巡礼開始することにしました。
1番札所から43番札所まで順次巡礼(順打ち)を済ませてきましたが、今日は53番札所
から44番札所へと逆回りすることになりました。
(これは逆打ちと言って、弘法大師は順打ちで回った為、逆打ちは大師に遇える機会が
おおきいとされている。巡礼の作法として受け入れられている方法だそうです。)

第五十三番札所・須賀山・円明寺 聖武天皇の勅願寺、勅を奉じて来錫した行基菩薩が
阿弥陀如来を刻み安置する。元和年間豪族須賀重久は再建、左甚五郎作熊の彫刻がある
詠歌・らいごうの、みだのひかりの、円明寺、てりそふかげば、よなよなの月
四国お遍路の旅13



第五十二番札所・龍雲山・太山寺 用命天皇の御代、九州豊後の真野長者が高浜沖で
暴風雨に遭い、観音経を唱え祈ると龍雲山の方向から差した御光のお蔭で助かる。
不思議に思い山に登ると、十一面観世音菩薩の尊影を拝した。お礼に長者は木組み
した材料で建立した。のちに聖武天皇の勅願により、行基菩薩が十一面観世音菩薩
を刻み安置、天皇自身が経を納め、山号寺号を下賜される。
御堂は釘打ちの無い工法で作られており、特別保護建造物の指定を受けている。
詠歌・たいさんへ、のぼれば汗の、いでけれど、のちの世おもへば、なんの苦もなし
四国お遍路の旅13



第五十一番札所・熊野山・石手寺 神亀五年(728年)聖武天皇の勅命を受けた伊予の
大守、越智玉澄が鎮護国家の道場として伽藍を建立したのがはじまりで、天平元年
(729年)行基菩薩が来錫薬師如来を刻み開眼した寺。813年弘法大師が留錫し、真言
宗に改め、札所とする。本堂仁王門三重塔は文保2年、鐘楼は元弘3年建築で国宝、
重要文化財に指定されている。
詠歌・西方を、よそとは見まず、あんよぅの、てらにまいりて、うくる十らく
四国お遍路の旅13



第五十番札所・東山・繁多寺 天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が
薬師如来を刻み、開基した寺。弘仁年間弘法大師が留錫し札所とする。
以来寺は衰退したが、源頼義が再興、弘安2年御宇多天皇の勅命で聞月上人が蒙古襲来
の退散祈願を奉じる。天和の頃龍湖という名僧が出て、徳川家の帰衣を得、4代将軍
の念持寺の一つ歓喜天を付託される。十六弁の菊の紋章瓦4が残されている。
詠歌・よろずこそ、はんたなりとも、おこたらず、しょびょうなかれと、のぞみいのれよ
四国お遍路の旅13



第四十九番札所・西林山・浄土寺 天平年間729~48年恵明上人によって開基した寺
本尊の釈迦如来は行基菩薩の作、以後寺運は衰退文明13年河野家によって再興
浄土宗開祖円光大師、二世聖光上人、三世良忠上人自作像がある。さらに空也上人の
自刻作の像がある。
空也上人は醍醐天皇の第二王子、河野家は時宗の開祖一遍上人の出身
四国お遍路の旅13


6日目の後半は後日ご案内


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