6日目朝から松山市内の札所めぐりを続けています。
松山市内は比較的平地が広く住宅地をぬって走ります。
第四十八番札所・清滝山・西林寺 741年(天平13年)行基菩薩がこの地に錫を留められ
伊予の国司越智宿称玉純と語り合って一寺を創建し、十一面観世音菩薩を刻み本尊とする。
60年後807年弘法大師が留錫され、越智宿称実勝とともに国家安泰を祈願して札所とする。
詠歌・みだぶつの、世界をたずね、ゆきたくば、西の林の、寺にまいれよ
第四十七番札所・熊野山・八坂寺 役の行者小角が開基した寺。701年(大宝元年)
文武天皇の勅願により伊予守玉興公が創建したと伝えられている。
詠歌・花をみて、うたよむ人は、八坂寺、三仏じょうの、縁とこそきけ
第四十六番札所・医王山・浄瑠璃寺 708年(和銅元年)行基菩薩が奈良の大仏開眼
に先立って仏教布宣のため、伊予に来る。行基がこの地が仏法流布の適地と感得し、
伽藍建立薬師如来を刻んで本尊とする。807年弘法大師が来錫増建再興する。
第四十四番札所・菅生山・大宝寺 文武天皇勅願の寺、往昔名神右京、隼人の兄弟の
狩人が当山で十一面観世音菩薩を発見安置したのが始まり。弘仁年間弘法大師が
留錫し中札所とする。
詠歌・いまの世は、だいひのめぐみ、すごうさん、ついにはみだの、ちかいをぞまつ
第四十五番札所・海岸山・岩屋寺 815年(弘仁6年)弘法大師が修行の霊地を求めて
投げた明王鈴の音を頼りに登られた山。この山に住んでいた法華仙人は大師の仏法
に帰依して当山を献じた。不動明王を建てて開創した。
詠歌・たいせいの、いのる力の、げにいわや、石の中にも、ごくらくぞある
6日目もPM4時が過ぎ、今日の巡礼は終わり、逆打ちした巡礼は明日から又順打ちに・・・
88か所めぐりも半分が終わり、後半のスタート寺、岩屋寺は難所の寺、ほぼ登山
3~40分の坂道を登る。高齢者も途中休憩しながら息を整え登る姿が印象的
明日は今治市からのスタートのため、今治まで移動、当日は土曜日宿が一杯で
対岸の大島へ(しまなみ海道を渡る。)漁港の民宿でおいしい魚料理を頂く。
あすの予定を確認して就寝