四国お遍路の旅15

7日目午後西条市へ向かう前に、今治市の国分寺の掲載を飛ばしていました。

第五十九番札所・金光山・国分寺 741年(天平13年)聖武天皇の勅願により、行基菩薩
が各国に創建した時の伊予の国分寺。年代を経て弘法大師が留錫して、五大尊を書き残し
大師の弟子真如大師も留錫し法華経一部を染筆するなどの歴史がある。その後源平合戦、
南北朝時代の混乱に巻き込まれる。
詠歌・しゅごのため、たててあがむる、国分寺、いよいよめぐむ、薬師なりけり
四国お遍路の旅15



第六十一番札所・栴檀寺・香園寺 用命天皇の御代、天皇のご病気平癒を祈願して
聖徳太子が堂塔を創建して大日如来を安置、天皇から教王院の勅号を賜る。天平年間
行基菩薩も修行、さらに大同年間弘法大師も来錫、難産で苦しむ婦人を見、栴檀の香を
焚いて護摩修法され山号となる。
昭和51年大聖堂を建てる。地下1階、地上2階の四角い鉄筋コンクリートの建物
詠歌・のちの世を、思へばまいれ、香園寺、とめてとまらぬ、しらたきの水
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第六十二番札所・天羪山・宝寿寺 天平年間(708~781年)大巳貴尊のご神託により
聖武天皇が諸国に一の宮を作る。その時の伊予一国一の宮のご法楽所として創建される。
その後、洪水被害で荒れ果てていたが1144年(天羪2年)再建年号にちなんで改号される。
詠歌・さみだれの、あとにいでたる、玉の井は、しらつぼなるや、一の宮かわ
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第六十三番札所・密教山・吉祥寺 弘仁年間、弘法大師がこの地を順錫中、光を放つ
桧をご覧になり、これこそ霊木なりと感得し、毘沙門天(四国霊場唯一)吉祥善尼師
童子の三像を刻み、堂塔を建て毘沙門天を本尊、ほか二尊を脇仏として安置する。
詠歌・身の中の、あしき悲報を、うちすてて、みな吉祥を、のぞみいのれよ
四国お遍路の旅15



第六十四番札所・石鉄山・前神寺 天武天皇の御代、石鎚山で修行した役行者小角が
開創した寺、石鎚大権現を祀っている。のち、桓武天皇が病気平癒を祈願され、その
霊験著しきを愛で、七堂伽藍を建立し勅願所と定める。弘法大師は2度石鎚山に登っている。
詠歌・前は神、うしろは仏、ごくらくの、よろずのつみを、くだくいしづち
四国お遍路の旅15



これから飛ばしていた60番札所へ、60番横峰寺は西条市の山奥にあり、道のりから本日最後
の巡礼札所とした。

第六十番札所・石鉄山・横峰寺 白雉2年(651年)役行者が星が森で修行中、石鎚山
山頂に蔵王権現が出現したのでその尊像を石楠木に刻んで開創した。大同6年弘法大師が
当山を訪れ、42歳厄除けの星供の法を修している。感得した大師は大日如来を刻んで
本尊に祀る。
寺の本堂は両部神道時代に神も仏も有難いのは同じである。と説いた大師の教義のまま
に本堂内部に左大臣を祀っており、建築様式は権現造りとなっている。
山岳仏教の霊場として栄えた横峰寺は桓武天皇の勅願寺でもある。
詠歌・たてよこに、みねや山べに、寺たてて、あまねく人を、すくうものかな
四国お遍路の旅15



本日の巡礼は日没終了、次の巡礼先に移動しつつ、宿を探す。四国中央市初めて聞く
街。従来の伊予三島と聞き納得。駅近くのビジネスホテルを予約して宿に向かう。
明日はいよいよ弘法大師生誕の地善通寺へ。そして森の石松で有名な金毘羅宮へ


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